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眠りから覚める猫②~四天王寺にて眠る猫~

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前回「眠りから覚める猫①~動き出す根子岳~」を書いて、数週間経ちましたが、
その間なかなか記事が書けずにすいません><

管理人がもたもたしてる内に、、、
根子岳の形は、またさらに変わってしまったようです(--;


天狗岩 地震で崩落 阿蘇・根子岳 [熊本県]



阿蘇五岳を形成する根子岳の天狗(てんぐ)岩が、地震で一部崩壊した。
岩の東側が数十メートルにわたって削られたように崩れ落ちている。

豪雨の傷跡がまだ生々しいところに見舞った今回の地震。
危険がいっぱい、といった感じの根子岳になった。

ところで、前回、『鬼を使役する猫』について、、、解説すると述べました。

九州の根子岳自体が、鬼を使役する伝説があるんですが、、、
それ以外に、管理人が、猫を特別に意識しているのは、、、幾つか理由があります。

本当は、他にも色々説明したい事もあり、
もう少し先まで出すのは控えようか迷ったんですが、、、

あまり読者さんを待たせるのはアレなんで、、、最初から、核心をついていきます。


管理人が「猫」を特別視しているのは、ずばり、聖徳太子の預言を意識しているからです。

そして、猫がキーワードになっているのが、、、実は、四天王寺の存在なのです。


聖徳太子の四天王寺の鳥居は、、、なぜ西向きなのか?

四天王寺は、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生した時に、、、

聖徳太子が、「この戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる!」
と誓いを立て、戦争勝利後に作られた、仏教寺院としては最古クラスの寺院です。


管理人は、これまで、過去に「四天王寺の由来は天皇神社だった!?」で書いたように、
何度か四天王寺を拝見したり調査しています。

しかし、どうにもこの四天王寺はおかしいのです。
まず、れっきとした仏教寺院なのに、思いっきり鳥居が存在します。

▼四天王寺の西向きの鳥居

しかも、この鳥居、、、西向きなんですよね。


通常の神社建築では、鳥居は本殿の南側に配置される事が多いのですが・・・
この四天王寺に限って言えば、異例の西向きなのです。

下記の地図で確認すると、こういう感じになっています。

以前、管理人は、四天王寺の石の鳥居が西向きに配置されている理由については、、、
それは、星信仰を持っているからだ、、、と述べました。

その考えは今も変わっていません。


しかしながら、、、
どうも、それだけではない、、、みたいなのです。

先ほどの鳥居を抜けて、中心伽藍に入りますと、、、
四天王寺の中心である金堂があります。


この金堂には、外観は法隆寺金堂に似ていますが、法隆寺夢殿と同じ仏像、、、
金堂中央に本尊の救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)像が配置されています。

ちなみに、下記は、法隆寺のものですが、、、
四天王寺の救世観音菩薩は、座った形の半跏像になっています。

▼法隆寺夢殿の本尊観音菩薩立像


救世観音の救世とは「人々を世の苦しみから救うこと」です。
(「法華経」の観世音菩薩普門品の中の"観音妙智力 能救世間苦"から来ているらしい)

したがって、四天王寺の目的としては、、、
「世の苦しみから人々を救う」という事に主眼があると思われるのです。


この中心の金堂から、西の鳥居に向かって行われる行事で、、、
彼岸の中日に、「日想観(にっそうかん)」という浄土信仰の伝統行事が行われます。
※お彼岸の時期は太陽が真西に沈みます


日想観(にっそうかん)とは?
西に沈む太陽を見て,その丸い形を心に留める修行法。
極楽浄土を見る修行の一部で,観無量寿経に記される。日想

ここは、四天王寺夕陽丘(ゆうひがおか)と呼ばれるくらい、夕日が綺麗に見えて、
四天王寺の高台から、鳥居ごしに茅渟の海(大阪湾)に沈む夕日が見え、非常に幻想的です。


【画像は活動報告 - 四天王寺の活動報告ブログより引用】


こういう所から考えると、、、
四天王寺の境内配置は、太陽の東西ラインを考慮して作られていると言えるでしょう。


また、四天王寺は鳥居があるとはいえ、仏教寺院ですので、、、

釈迦が、涅槃の時(入滅する時)に、
枕を北にして、西に向かって寝てられるようにされた
・・・というのも、、鳥居のある入口が西向きになっている理由かもしれません。

(それでも、やはり仏教寺院に鳥居はおかしいのですが)


一応、涅槃図でも確認してみましょうか。。。
下記のように、釈迦の入滅は、必ず北枕で、頭の方向は西向きにして描かれています。


釈迦が目を向けた西方は、極楽浄土の土地。。。
西方に落日を見る日想観は、死後の極楽浄土に行く事を願っての意味もあるのでしょう。

西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)とは?

仏教における聖域・理想の世界。
十億万仏土先の西方にあり、阿弥陀如来がいるとされる浄土のこと。
極楽浄土と言われる。

まぁ、、、
このようにして、四天王寺を仏教寺院として考えると、
釈迦の入滅をも意識した作りになっている、、、とも言える訳です。


が、しかし!!!
ここで、問題になってくる事があるのです。

それは、何かと言うと、、、

四天王寺の東西ライン(太陽のレイライン)

なのです。

先ほどの四天王寺の境内地図で、お彼岸の日の、
この太陽の通り道(東西ライン)を、よーくご覧ください。


上図では、地図上の文字が、逆向きになっているのが、
見え難いかもしれないので、反転してみました。


これでわかるでしょうか?

分からない人は、下記で確認して下さい。
先ほど述べましたが、、、お彼岸の時期には、太陽は、真東から昇って真西に沈む。

その際の四天王寺の太陽の通る東西ラインには、実に奇妙な構造になっているのです。

上記だけ見ると、神社の基本構造と比べてみて、、、
寺であるのに、まるで、神社のように見えて来ませんか?

金堂を神社の拝殿として考えるならば、
聖徳太子を祀る聖霊院(太子堂)奥殿が本殿でしょう。

しかも、この聖霊院奥殿は、法隆寺の夢殿に非常に似ているのです。
(近くに立ち寄れなかったので撮影できませんでしたが)八角形のような構造です。


聖霊院
中心伽藍の東に位置する一画で、「太子殿」とも言い、聖徳太子を祀る。
中心伽藍は鉄筋コンクリート造だが、この一画は木造建築である。



主要な建物は前殿と奥殿である。
前殿には十六歳像・太子二歳像が祀られ、
奥殿には太子四十九歳像(1月22日のみ公開の秘仏)が祀られている。
一見法隆寺夢殿に似ているが、夢殿の平面が八角形であるのに対し、
この建物の平面は完全な円形である。


そして、神社と言えば、聖徳太子の時代、神道を祀ったのが物部守屋ですが、、、
その「守屋祠も、奥電のさらに奥にあります。

ついでに言えば、馬や馬の模型のある神社は、大概、東にその厩舎があるはずです。
この四天王寺でも、やはり東に聖徳太子が乗ったという黒駒の厩舎がありました。


こう言う所までを見ると、釈迦の涅槃を考慮した東西ラインと、
神道の神社を思わせる東西ラインが、混在しているようなラインになっているのです。



そして、最も大事なことを言いますと、、、

恐らく、この四天王寺で最も重要な部分は、その構造なども考慮すると、
恐らく、この太子殿(奥電)だろうと思うのですが、、、

しかしながら、、、
その行く手を遮って存在しているのが、、、なんと!「猫之門」なのです。



奥殿への行き手を遮る「猫之門」

四天王寺の猫之門は、開かずの門になっており、通常一般人は入れません。
(極稀に、高貴な人だけが入る事が出来るとか)

▼猫の門

そして、この門には、、、下記のように、眠った猫が彫刻されているのです。


果たして、この四天王寺の奥殿までのルートを遮っている猫には、
一体、どんな意味が隠されているのでしょうか?

非常に、気になる所ですが・・・続きは次回。


PS.
聖徳太子は遣隋使で、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや」と、
中国皇帝に親書を送ってますが、この語句は、浄土信仰に基づいた故事に思えます。

そして、「隋書 倭国伝」においては、冒頭の阿蘇山についての言及は、
ちょうど、この「日出づる処の天子・・・」のすぐ直前で出て来るのですが、、、
これは、偶然でしょうか?


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